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リストラ・ペップトーク

2016年7月13日 (水)

【リストラ・ペップトーク】 第13話: チャンスを自ら獲る

第2部 立志編  第3章 やる時はやる、自分を貫く

第13話: チャンスを自ら獲る

1)積極的なセミナー企画

1980年代も2010年代も、コンサルティングや研修の受注を獲得するための手段はセミナーが主流です。セミナーに多くの聴衆を呼び込むためのテーマを設定することや、魅力的な講師に依頼すること、そして終了後の徹底したフォローがポイントです。

集客手段については、最近はFacebookをはじめとしたSNSなどが台頭していますが、80年代に主流だった封書やFAXによる勧誘文書もまだまだ健在であり、この業界に古くからいる私のようなコンサルタントにとってはメシを食う方法として有り難い限りです。

【一晩で3,000通のDM作成】

私が勤めていたコンサルティング会社もセミナーを積極的に開いていました。入社二年目あたりまでは、私と同僚のA君は、セミナーの案内文書を会計事務所の先生方や中小企業の経営者向けにDMとして大量に送るのが仕事でした。

自分たちで呼び込んだお客様がセミナーを聴いて「よし、このコンサルティング会社と継続的なコンサル契約を結ぼう」ということになれば、営業フィーが入ってくるので給料(年俸)が上がる仕組みになっていました。

したがって、アウトソーシング(外注)業者など存在しない当時、私とA君は一晩!で、次のような膨大な作業をこなしていました。

・文言やデザインを含め、案内文面の作成→3,000通印刷→三つ折り作業
・宛名シールの印刷→封筒3,000通への貼り付け
・案内文面の封筒への封入→入れ口の貼り付け
・翌日、郵便局に持っていき、大量発送用のスタンプ押し

【何事も財産になり得る】

表面だけ読むと、知的労働には思えないでしょう。しかし、経営コンサルタントとしては、いかに仕事につながりそうな送り先をピックアップするか、いかに心を惹きつける文面を作るか、いかに3,000通のDMを効率よく作業して完成させるかなど、大いに工夫のし甲斐があり、将来に向けての勉強になり、かけがえのない人生の財産となりました。

また、こうした力技だけではなく、当社の専務を講師に迎え、横浜の山下公園に停泊している客船「氷川丸」の大広間でのセミナーを企画するなど、いま考えてもお洒落な・・・当時のバブル経済の雰囲気に後押しされたような仕事にも取り組んでいました。

粗削りながらも、いろいろなことにチャレンジできたのは、若い頃の私にとってラッキーでした。『黄金の80年代→円高不況→バブル経済→バブル崩壊』という近代史の怒涛の流れを目の当たりにしながら、若い力で精力的に駆け巡っていたのです。

2.講師としてのデビュー

当社は若手社員(コンサルタントの卵)に積極的に仕事を任せ、自ら道を切り拓いた者は年棒が増え地位も上がる、いわゆる実力主義の仕組みを確立していました。当然、営業だけよりも講演やコンサルティングの仕事を自らやる方が年俸は増えます。

もちろん、ただの若僧が講演をやっても誰も見向きもしないでしょう。やるからには、参加者に価値を見出していただけるだけの何かが必要です。その何かのうち半分は会社が用意してくれました。すなわち、当時は多くの経営者が関心を寄せた「戦略的中期経営計画の策定法および周辺情報」です。

【明日、再現せよ】

あとの半分は、講師の魅力です。今でも感謝しているのは、当時の上司(部長)が「一度受けたセミナーは、翌日には君たちが再現せよ」と命令してきたことです。これを聞いて「ムリ」と思った同僚も多かったようですが、私は素直にチャレンジを始めました。

まずは堺屋太一さんや長谷川慶太郎さんといったビッグネームから当社の先輩コンサルタントに至るまで、いろいろなセミナーを受講し、徹底して研究し尽くしました。とにかく受講したセミナーは、1日あたりレポート用紙10枚以上、びっしりメモを取ると自分に課しました。

「自分だったら、どう話すか」と想定しながら、これだけのメモを取りながら必死に受けたら、たいがいは再現できます。最初は個性や深みは出ないでしょうが、繰り返していくうちに自信が湧いてきて、それなりの形になります。あとは、やるかやらないかの違いです。

Yes, I can !

入社三年目のある日、部長から「明後日の“会計事務所の成功戦略セミナー”、講師を務める予定の課長が本社から来れなくなった。おまえ、アシスタントをやって内容は分かってるよな。やれ!」と言われたとき、「はい、やります!」と条件反射的に答えていました。

この日のために準備をしてきたようなものです。20歳代後半の若僧が、会計事務所の先生方を相手に、成功戦略セミナーの講師を務める・・・普通なら無謀に思える状況です。しかし、ここで「No」と言うようでは、今後お客様を相手にコンサルタントとして「御社はこういう戦略を取るべきです」などと強く言うことは出来ないでしょう。

私は昔から、他人のやることに「ムリ」「やめとけ」と言う人が大嫌いです。なぜなら、大抵のことは“出来る”からです。私は新人の頃に「ムリ」としか思えないようなことに体当たりするしかない状況に追い込まれ、また自分を追い込み、そこを何とか工夫して何とかすることを繰り返してきました。

「出来る」「何とかしよう」と思っている間は、ゲームセットにはなりません。どんな状況にも「Yes, I can !」と信じて立ち向かうと、何とかなるものなのです。今でも、固くそう信じて生きています。


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2016年6月21日 (火)

【リストラ・ペップトーク】 第12話: 川上(上流)が強い仕組み

第2部 立志編  第3章 やる時はやる、自分を貫く

第12話: 川上(上流)が強い仕組み

1)ポジション取りが大切

私が最初に勤めたコンサルティング会社は、事業計画の立て方や社員研修の進め方など、様々なコンサルティング・ノウハウを標準化(パッケージ化)し、全国の税理士や中小企業診断士などの士業の先生方をフランチャイズ方式で連携して、ノウハウを提供していました。

この場合、当社がフランチャイザー(FCザー)、士業の先生方が(FCジー)という関係になります。私はスーパーバイザー(SV)として、担当したFCジーにパッケージ化されたノウハウについて情報提供したり、FCジーがノウハウを使ってコンサルティング業務ができるよう、セミナーを開催して企業担当者を集めたり、訪問して経営者に向けて営業活動を展開しました。

【いかに主導権を握るか】

若い段階でSVとして営業活動やセミナー講師としての活動などを経験できたことは、私の人生にとって、かけがえのない大きな財産となりました。
また、事業に取り組む上では、川上(上流)にポジションをとることが重要であること、また下流に位置せざるを得ない場合は、圧倒的な力を持つ必要があることを、理屈を超えて体感できました。

かつて商流といえば「製造業→卸売業→小売業→消費者」と商品が流れ、上流にいる製造業が“メーカー希望小売価格”を設定して、商流を牛耳っていました。
しかし、流通革命が起こり、いまでは大型量販店(小売業)が幅を利かせています。川上(上流)に対して強くモノを言えるだけの販売量を誇り、主導権を握ることができたからです。

コンサルティングのような目に見えない商品であっても理屈は同じです。やはりノウハウを開発する側(FCザー)の方が川上(上流)にポジション取りし、主導権を握ることができます。
FCジーが力を持つためには、顧客企業すなわちノウハウの販売見込み先を多数抱えるか、コンサルティング力(指導力や講演力など)を圧倒的なレベルに高めるしかありません。

2.謙虚な気持ちを忘れずに

コンサルティングのフランチャイズ化は、当初は珍しさも手伝って伸びていきましたが、数年後に破綻してしまいました。
FCジーの先生方の中で、要は稼げない方々が、「加盟料1,000万円を返せ。“標準化されたノウハウを使って大いにコンサルティング事業が展開できる”という謳い文句にダマされた」ということで訴訟沙汰になったのです。

私が20年後にお世話になることになった中小企業診断士の先生は、実は私がSVとして担当したFCジーの一人だったのです。
その先生は、ノウハウを上手く使いこなし、また私が紹介した地方銀行の担当者とうまく連携して営業活動を効果的に進め、けっこう事業として成功しましたので、あながちFCザーだけが悪いとは言い切れないでしょう。

【人間だもの・・・感情がある】

フランチャイズ化が破たんした要因はいくつかあるのですが、私の人生に関係のある事柄に絞るとすると・・・それは人間関係です。
FCザーにとって、FCジーは高額な加盟料を払っていただいたお客様ですが、事業を成功させるために指導をする立場でもあるのです。

その指導を行うSVが「相手が大切なお客様であり、かつ指導する相手でもある」という微妙な関係を理解して接すればよいのですが、ほとんどのSVが20歳代後半と社会経験が浅く、機微が分からぬままFCジーの先生方や担当者と接していたのです。

FCザーの上層部もSVに対して、「FCジーをお客様扱いするな。指導するという姿勢を崩すな。FCジーにどんどんコンサル業務を受注させて、その売り上げからロイヤリティーを払ってもらい、SVの収入アップにつなげろ。」と繰り返し訓示しました。

そのため、SVの中には居丈高に失礼な態度でFCジーに接する者も多かったのです。FCジーの担当者は若い人も多く、「なんだとー、ふざけやがって」と反発したり、「どーせ、自分たちは指導される立場さ」と卑屈になったり・・・いずれにせよ、信頼関係を深めてコンサル業務の受注増に手を取り合って邁進するという構図は崩れ去っていきました。

【事業において留意すべきこと】

こうした状況下で、FCザーの上層部は「ノウハウのレベルは高い」、「フランチャイズのシステムは極めて機能的で完成度が高い」といった観点から、現場での人間関係について真剣に調べて手を打とうとはしませんでした。

こうした成功と失敗の両面がドロドロに入り混じった現場を若いころに体験できたことは、個人的には勉強になりました。決して他山の石とせず、自分の事業および顧客企業の事業に対して、次の2点について常に考えて取り組むことが大切です。

●事業のシステムや運用方法に完璧を期して取り組むことは大事。ただし、事業を動かすのは人間であり、関わりのある人間の心情や立場といったものも「経営資源」として大切にし、必ず活かすこと。

●事業が成功しているときほど謙虚になり、たとえ自分の知識や見識からは外れていたとしても、現場からの声には真摯に耳を傾け、驕ることなく反省すべきところは反省して改善に取り組むこと。

いまでは落ち着いて書けていますが、その後の人生の中で、こうした教訓を生かせずに右往左往してしまうことになるのですが、それはまた後述します。


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2016年6月12日 (日)

【リストラ・ペップトーク】 第11話: 自ら切り拓く未来へ

第2部 立志編  第3章 やる時はやる、自分を貫く

第11話: 自ら切り拓く未来へ

※今回より、「第2部 立志編(1987年~1997年)」の始まりです。

1)就職するにあたって、大切に考えたこと

私は24歳で大学を卒業してから今日まで、一貫して講師の仕事に携わってきました。保険の営業や土壌汚染対策資材の開発・営業の仕事も経験しましたが、そのような時期も、保険の営業マン向けの営業研修を担当したり、汚染対策セミナーの講師を任されたりと、何かにつけて人前で講義することが多かったのです。

今でも、生活費を稼ぐにせよ、社会に貢献するにせよ、講師という仕事がベースになっているのですが、すべては大学を卒業して最初に勤めたコンサルティング会社での経験が根底にあるのです。

【就職活動は不利な条件下に】

大学を留年して5年生で就職活動を始めた時、正直なところ明確な展望は持っていませんでした。同級生の大部分は常識であるかのように大手メーカーや都市銀行を志望して、そのまま内定を獲得していきました。

私は一年浪人して入学し、さらに一年留年して卒業するわけで、早稲田大学の政経学部といっても、いわゆる一流企業を目指すには不利な条件下にありました。かと言って、プライドもありましたので、いきなり無名の会社の門を叩く気にもなれませんでした。

そんなとき、日本エル・シー・エーという伸び盛りのコンサルティング会社の就職説明資料に「サラリーマンになるか、経営者になるか」「独立を目指す人にこそ来てほしい」といった趣旨の文言が並んでいました。

【オリジナルな道を切り拓く人生へ】

私の心の中を稲妻が駆け抜けました。終身雇用・年功序列がいま以上に徹底されていたビジネス界において、独立を前提に経営者を目ざして仕事ができる環境があるなんて夢のような話でした。

当時は、今では信じられないかもしれませんが、電話帳の業種欄に「コンサルティング」が無かった時代です。
友人・知人、周囲の人たちは「何を考えてるんだ?」「大丈夫か、そんなところ!」と本気で心配してくれました。

しかし、「自分の力で、自分の未来を切り拓いていく人生」がとても素敵に思えた私にとって、他人からのアドバイスや忠告など聞く耳を持ちませんでした。そのまま当社に応募して合格し、経営コンサルタントとしての道を歩み始めました。

その後、良くも悪くも、どちらかと言えば最悪の事態を招くような経験を何度もしてしまうことになるのですが、この最初の選択について、今となっては正解だと思っていますし、何ら悔いはありません。

2)Give体質・・・新人の頃の記憶

当社は京都に本社があり、私は東京支社に配属されました。新入社員は60名ほどいて、本社に集められて数日間の新人研修が行われました。

最終日、みんなの顔と名前を一致させてメモするゲームがありました。私は全員の顔と名前を一致させて明確に記憶していましたが、逆に私の顔と名前を憶えている人は少数でした。

【じっくり取り組み、成果につなげる】

その時はガッカリしましたが、今になって思うのは、まずは皆さんのことを知って状況を把握してから、こちらのPRを相手に合わせて的確に行う・・・マーケティングオフィス・ウラベのスタンスは、すでに入社の頃から出来あがっていたのです。

たしかにインパクトには欠けていましたし、職場で本格的に業務が始まってから、上司や同僚から「もっとアピールしようよ」と促されました。
しかし初期段階では目立ってはいませんでしたが、3年後にはほぼ全社の社員が私のことを知ることになりました。

同期の中で、主任になる早さは一歩遅れを取りましたが、係長には一番最初に就任しました。それで良いのです。スロー・スターターでも、きっちりと実績を残して認められていけば、必ずポジション面でも金銭面でも成果は得られるものなのです。

【とにかくGiveする、奉仕の精神】

当社は、日本企業には珍しい完全実績主義型の会社で、とにかく売り上げ(付加価値)が最優先事項でした。売り上げに関係ない活動は厳として戒められ、夜中の12時過ぎまで連日のように働く、猛烈型の風土でした。

しかし、私は夜遅くなった同僚を車で送って行ったり、いろいろな相談ごとに乗ったりと、上司から見ると歯がゆい社員だったようです。
ちなみに、バレンタインデーには東京支社で二番目に多いチョコが机の引き出しに入っていて、「いつも励ましていただいて感謝しています」という手紙が多かったように記憶しています。

ただ、結果として後には成績を上げ始め、同期の中では出世も早く、その要因の一つは社内での人脈が私に大いに味方してくれたことを考えると、目先の売り上げだけではなく、視点を広げて人とのつながりを重視すべきことが分かります。「急がば回れ!」の精神が大切なのです。


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2016年6月11日 (土)

【リストラ・ペップトーク】 第10話: いただく側から、差し上げる側へ

第1部 未来への架橋編  第2章 Give give give & Big take

第10話: いただく側から、差し上げる側へ

1)Corporation から Co-operation へ

研修・セミナーの仕事において周囲を見渡してみると、実に様々な講師がいます。よく見かけるのが、自分の研修ノウハウを絶対に他の講師と共有せずに囲い込む人や、お客様からの要望や条件について必ず自分のテリトリーを超えたものについて拒否する人です。

こうした姿勢を悪いとは言えませんが、少なくとも私とは対極的です。私が思うに、自分で開発したとは言っても必ず元の情報・知識は存在するわけで、一人で囲い込むのは筋が違うでしょう。
著作権はきっちりと主張しながら、他の信頼できる講師と共有し、良いノウハウならどんどん世の中に広げていくべきと考えます。


また、お客様からのご要望に対しては、8~9割は“Yes”と答え、自分の信念と異なる部分にのみ“No”と言うべきなのです。

私の場合、主役である受講生に直接関係のないことであれば、お客様からのどんなご要望にも“Yes”と答え、歯を食いしばって必死に取り組んできました。その代り、受講生の理解を阻害するような事柄には断固として拒否して代替案を提示してきました。

【新しい時代へ】

これからは、自分・自社(Corporation)のメリットのみを考えれば済んだ時代から、他者・他社との協働(Co-operation)の時代なのです。

そこで大切になるのは、初めから自分の権利を主張してGive & Takeを狙うのではなく、Give, give, give のいわば奉仕の精神が大切なのです。

Give & Take をがめつく狙う人は、小さな Take しか望めません。しかし、Give, give, give で取り組む人は、いつかきっと、結果として Big take が舞い込んでくるでしょう。

【個の頑張りから、チームの力へ】

2012年頃より、研修会社から大型の研修案件について「占部さんのお知り合いの講師を数名紹介いただいて、チームで取り組んでいただけませんか?」という、ありがたいお話を頂戴するようになりました。

こうなると、単に私が講師として奮励努力するだけではなく、お客様に本当に喜んでいただける優秀な講師チームを形成する必要が出てきたわけで、ますます Give, give, give が求められるようになってきたのです。

現在、私は新たな Give, give, give として、本物のプロ講師を育成するための道場を講師仲間と一緒に立ち上げようとしています。

自分のためではなく、プロ講師を目ざす若手のために、そしてその人たちが世の中に優れたノウハウを広めていくために、Big take が舞い込むように頑張っていきます。

2)世に生を受くるは、事を成すにあり

2008年に前職の社内クーデターで全てを失ってから数年間は、とにかく仕事を得てメシを食うことで必死でした。
講師を募集している複数の研修会社にメールを立て続けに送り、また実際に出かけて行って「成果に結びつく研修ができる講師」としてのプレゼンテーションを繰り返しました。

【モチベーションの源が “負” から “正” へ】

もちろん、「主役は受講生である」という信念のもとに取り組んできたのは事実です。しかし、心の裏側には「背任行為やセクハラをした幹部という汚名を晴らしてやる。企業研修講師として、周囲から認められ、立派な実績を積むのだ。」という思いが確かにありました。

人間にとって、恨みや悔しさといった負のエネルギーもモチベーションを高めるためのエネルギーになり得ます。かの秦の始皇帝は「恨呑天下」といわれるように負のエネルギーで天下を統一したともいわれます。

しかし、いつしか私は「人様に経営の仕方や組織の活性化の方法を教える立場でありながら、自分は悶々と負のエネルギーを抱えるままでよいのか」と自己矛盾に陥るようになりました。

そのようなときに、ペップトーク(ポジティブな発想による勇気づけの言葉)と出会い、現在日本ペップトーク普及協会の会長をされている岩﨑由純氏と一緒に取り組むことになりました。

明らかに私自身の考えが「見返してやる!」という“負”のエネルギーから、「コンサルタントとして、講師として、社会に貢献したい」という“正”のエネルギーで満たされるようになってきたのです。

【何のために生き、講師をするのか】

敬愛してやまない坂本龍馬の言葉に「世に生を受くるは、事を成すにあり(この世に生まれてきたのは、何か大切な事を成し遂げるためだ)」があります。

私にとっての「事」とは、ブログに何度も書いているように次の2点につきます。

◎ペップトークを普及させ、企業で働く人々をポジティブ発想で元気にすること

◎ロジカルシンキングを浸透させ、日本企業の国際競争力をさらに高めること

これを実現するためには、自分一人では限界がありますので、2方向のGive, give, give が必要です。1つは、講師仲間やペップトーク普及協会のメンバーへ、私の持てる力を惜しみなくGive, give, give していくことです。

もう1つは、自分が、または仲間たちと一緒に、「仕事をください」といただく立場から「仕事を差し上げます」と提供できる立場になることです。

そのためには、いま以上に克己努力してマネジメント力を付けるとともに、仕事の企画・集客・推進・フォローなど、各プロセスで存分に力量を発揮できるプロ集団を形成しなければなりません。

私の人生の後半は、こうしたGive, give, give に徹し、「事を成す」ことを目ざして邁進する所存です。


※以上で、「第1部 未来への架け橋編(2008年~現在)」は終了です。
※次回より、「第2部 立志編(1987年~1997年)」が始まります。


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2016年6月10日 (金)

【リストラ・ペップトーク】 第9話: 貫くべき自分の軸を持つ

第1部 未来への架橋編  第2章 Give give give & Big take

第9話: 貫くべき自分の軸を持つ

1)メッセンジャーからアレンジャーへ

講師の仕事を続けていると、ときどき顧客企業の研修担当者や研修会社の担当者から「厳しく指導してください」と言われます。
この言葉が出ると、その顧客企業もしくは研修会社がきちんと考えているかどうかが分かる “リトマス試験紙” です。

このような場合、私は必ず「厳しくとは、具体的にどのように厳しくするのですか? また、厳しくする目的は何ですか?」と問います。

【曖昧な姿勢の多さ】

もし、ここで「この業界は、現場で親方たちと激しい口調でやり取りする場面が多いのです。だから研修の場でも、そういった雰囲気に慣れさせるため、講師の方にも厳しい口調と態度で講義していただきたいのです。」という答えが返ってきたら、喜んで従います。

そうすることで、主役である受講生の役に立ちますし、現場の雰囲気に少しでも早く慣れた受講生が増えることは、企業のメリットにもなるからです。

しかし、このような答えが返ってくることは意外と少なく、顧客企業の担当者は「上の方から厳しくしろと言われたから」、研修会社の担当者は「お客様から厳しくしろと言われたから」というのが定番の答えです。

こういう姿勢を俗に「メッセンジャー・ボーイ」と呼び、上司やお客様の言いなりになって仕事に対する主体性がなく、熱意も欠けているため、私は断固として「何のために、厳しくするのか!」を繰り返し問います。

【具体性を創出】

考えていないのならば仕方がありません。その場で「今回の研修において、厳しくするのは何のためか」「厳しくするとは、具体的にどうするのか(口調を厳しく、演習問題を難しく、演習中のコメントを辛口に・・・など)」を創出するのです。
まさに「アレンジャー(今あるものに手を加えて、新しいものをつくり出していくこと)」の仕事です。

いい加減な気持ちや状態のままで研修に突入することは許しません。主役はあくまでも受講生であり、受講生のスキルアップに資する「厳しさのあり方」を明確にすることは講師として当然の義務、当たり前の使命です。

2)目的とゴールを鮮明に

これは講師に限らず全ての仕事で共通に言えることですが、第8話に書いた「三的(多面的・俯瞰的・本質的)」は本当に大切です。

【三的の応用】

①多面的:
研修の進め方をいろいろな角度から考えます。厳しくor優しく、自主性に任せるor丁寧に教え込む、など洗い出します。

②俯瞰的(大局的):
上記の多面的に考える際に、全体像が把握でき、一方向に考えが偏らないよう俯瞰的にとらえるよう意識します。

③本質的
上記の俯瞰的にとらえながら、本質の部分、すなわち研修の目的(何のためにやるのか)、そしてゴール(どのレベルを目ざすのか)を絞り込んでいきます。

このように考えていくと、その研修で受講生にどうなって欲しいのかが明確になり、そのためには、どの手法で講義していくのが好ましいのかが自ずと見えてきます。

【アレンジャー的な提案】

以上のように、「多面的・俯瞰的・本質的+目的・ゴール」を常に考えていくことで、仮にお客様が不十分な見識であったとしても、講師の側から「このように考えましょう」というアレンジャー的な提案ができます。

お客様の中には「面倒くさい講師だな」とマイナスに受け取る方もいるでしょうが、概ね「熱心に考えてくれてるな」と好意的に受け取られ、こうした姿勢が積み重なってお客様と講師との信頼関係が深まっていくのです。


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2016年6月 7日 (火)

【リストラ・ペップトーク】 第8話: 物事を多面的・俯瞰的・本質的に考える

第1部 未来への架橋編  第2章 Give give give & Big take

第8話: 物事を多面的・俯瞰的・本質的に考える

1)お客様は誰なのか

どんな業種、どんな会社でも、存続と発展のために必ず考えるべきことは、マーケティングで言うところの「ターゲットの設定」です。もっと分かりやすく表現すると、「誰がお客様なのか」を鮮明にすることです。

私のように講師業でメシを食おうとすると、この「お客様」が多岐にわたるところが難しいところであり、逆に他の講師と差別化できるチャンスが多分に含まれているところでもあります。

【4方向のお客様】

①受講生:
まずは、主役である受講生が研修を受けて満足し、かつスキルアップしていただくことが大前提です。しかし、企業研修の場合、多くのケースで受講生が直接講師料を支払うわけではないので、受講生にだけ目を向けるわけにはいかないのです。

②企業の研修担当者:
担当者が研修のプログラムを作成したり(あるいは講師にポイントを示して作成を依頼したり)、講師の選定を行うわけですから、お客様として大切な存在です。

③企業:
講師料を支払っていただくのは企業ですから、やはりお客様です。企業の人事教育制度に沿って研修が企画されるわけですから、講師は企業の理念や目的、事業目標などに敏感でなければなりません。

④研修会社:
企業と講師の間にあって、講師に講師料を振り込んでいただいたり、研修の進め方について打合せを進める存在ですので、講師にとって一番身近なお客様です。

【4方向からの評価】

このように考えると、講師は少なくと4方向に目配り・気配りをしながら、4種類のお客様すべてに高く評価していただく必要があるのです。

青春ドラマの先生のように「俺は受講生の味方だ!」と意気がっても、研修担当者や企業側に嫌われたら元も子もありませんし、企業や研修会社にばかり気を取られると、肝心の受講生の気持ちや理解度に対して神経が鈍感になってしまいます。

2)成功の “三的”

よくマネジメントの世界で取り上げられる、「物事を多面的に見る、物事を俯瞰的に(大局的に見る)、物事を本質的に見る」という考え方が、講師業にも当てはまります。私はオリジナルで “多面的・俯瞰的・本質的の三的” と呼んでいます。

【三的とは】

①多面的:
今回の研修は、受講生にどのレベルまで教えるべきか、研修担当者は何を望んでいるか、研修テーマと企業の経営課題との関連はどうか、研修会社はそういったことを踏まえて講師に何を求めているか・・・複数の項目を同時に勘案しながら取り組むことが大切です。

②俯瞰的(大局的):
上記の多面的な物の見方を果たすためには、1つ1つの物事を別々に見るのではなく、全体を真上から見てトータルで判断する姿勢が望ましいのです。
仮に、受講生は受講時間を短くして欲しいと望み、担当者は厳しく実施して欲しいと望み、企業は講師料を下げて欲しいと望み、研修会社はアンケート結果を良くして欲しいと望み・・・1つ1つの望みが矛盾した形で噴出することはよくありますが、講師は右往左往するのではなく、俯瞰しながらベストな姿勢や施策を模索し、決断する必要があります。

③本質的:
上記の俯瞰的な物の見方を果たすためには、枝葉末節にとらわれることなく、何のためにやるのか(目的)、どのレベルを目指すのか(ゴール)を常に考え習慣づけることが大切です。
本質さえ押さえていれば、枝葉末節を言ってくる人たちに毅然と本質を語ることができますし、たとえ一時的に感情的なもつれが発生したとしても、最終的には講師に対する信頼が増します。

こうした “三的” を講師自身で意識し、また受講生にも研修テーマにおいて何が本質かを考えさせることによって、受講生は研修内容を現場で活かしやすくなり、研修の価値や講師への評価を上げることにつながるのです。

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2016年6月 6日 (月)

【リストラ・ペップトーク】 第7話: 「主役は誰か」を考える

第1部 未来への架橋編  第2章 Give give give & Big take

第7話: 「主役は誰か」を考える

1)心頭滅却して打ち込む

2008年7月、前月に前職を謀略により解任され地獄に突き落とされたものの、過去に一緒に仕事をした中小企業診断士の先生のおかげで、研修講師としての第1号の仕事をいただくことができました。

テーマはロジカル・コミュニケーション研修、すなわち「相手が理解しやすいよう、分かりやすく情報整理して、筋道立てて伝える」ためのスキルを高める研修です。
受講生はある上場企業の若手50名、久々の講師業務としてはハードな設定ですが、ここは必ず成功して、先生のお顔を立てるとともに、私としても次の仕事につなげなければなりません。

【万全の準備と臨機応変な対応】

成功するために、もっとはっきり言えば、研修終了後の受講生に記入していただくアンケートの結果を良くするために、万全の準備を行いました。
具体的には、受講生が前にいることを想定して、何度も何度も “シャドー講義” をするのです。想定される質問にも、あたかも受講生に話すのと同じように丁寧に答えていくのです。

実際に二日間の研修が始まると、受講生の理解度を見ながら、難しい部分はプログラムを若干変えてでも懇切丁寧に説明していきました。
全員が演習(スピーチ実習)で合格ラインに達するよう、テキストには書いていないプラスαの情報も教えていきました。

【常に全力投球】

講師の中には「8割教えればいいんです。10割教えたら次の仕事が無くなっちゃうでしょ。」という人もいます。
私は断固反対です。このように「手を抜くことを正当化する」ような講師は、現実問題として次の仕事が入ってきません。

世の中は凄い勢いで変化してます。今日10割教えても、来週には9割に目減りして、新たに1割教えるべきことが発生するのです。講師は、常に10割を全力で教え続けなければならないのです。

2)客観的に俯瞰してみる

私の熱意が通じたのか、アンケート結果も良好で、その後は仕事も継続的に入ってくるようになりました。
しかし、ある日前述の中小企業診断士の先生に呼ばれ、意外なことを告げられたのです。「占部さん、よくやっていただいてるんだけどね・・・昔のような、圧倒的なスゴサを感じないんだよね。本格的に業務拡大するなら、改善してもらわないと・・・」

「えっ、さんざんベストを尽くしてきて・・・アンケート結果も良くて・・・まだ足りない?どういうことだろう?」
正直なところ納得のいかない私は「何が足りませんか?」とストレートに聞きました。

【熱心な活動の盲点】

すると先生は一言、「遊び心」と告げたのです。「あっ!」・・・私は全てを悟りました。昔と今の自分の違い・・・一生懸命に熱意をもって10割を教え続ける、このスタンスは同じなのですが、決定的な違いが・・・

主役は「受講生」

この意識が、今の私には足りなかったのです。
もちろん、受講生全員が合格ラインに達するようにプログラムを変えてまでも、目一杯の工夫を加えて取り組んだのですが・・・言われてみれば、それは明日からのメシを食うために必死になっている講師の都合であり、それは受講生や研修担当者に無意識のうちに伝わっていたのでしょう。

そこで、昔の講義風景と今の講義風景を、高い位置から俯瞰してみました。昔の私は、受講生と一緒に研修を楽しんでいました。まだ社会の本当の荒波に揉まれたこともなく、能天気に楽しめた部分はあるかも知れませんが、それは周囲の講師陣からは “スゴサ” と目に映ったようです。

対して、今の私は必死に教えているだけで、たとえ演習の成果が高レベルであっても、アンケート結果が良好であっても、長い目で見ると「そこそこやってくれる講師だね」の評価しか得られず、プロの講師としていかなる時も仕事が入り続けるレベルになれるかどうかは分かりません。

【スタンスの見直し】

翌日から、私の講義スタイルは変わりました。と言うよりも昔に戻りました。お硬いテーマであるほど、講義は笑顔で、そして事例も若手にはAKB48を使った例を、幹部には石原裕次郎を使った例を示すなど、楽しく分かりやすく、いつの間にか講義内容が頭に入っていくよう工夫しました。

講師が一生懸命にやるために研修があるのではない、主役である受講生に楽しんでいただき、納得していただき、さらに「今日の講義を明日から実践しよう」と成果を意識していただくことが私の使命なのです・・・この思いが、その後もずっと続いていきました。

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2016年5月24日 (火)

【リストラ・ペップトーク】 第6話: 未来の成功の鍵は、必ず過去にある

第1部 未来への架橋編  第2章 Give,give,give & Big take

第6話: 未来の成功の鍵は、必ず過去にある

1)過去は変えられる

よくモチベーション系の研修で「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分だ」と話す講師が多いのですが、私は半分賛成、半分反対です。

過去に発生した事象は変えられないものの、それをどう解釈するかによって、過去への評価は変わってきます。他人への評価についても、その時の立場や状況に応じて大いに変わります。

【過去をどうとらえるか】

私は大学を卒業して、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していたある経営コンサルティング会社に就職し、5年間勤めた後に転職しました。
その会社の強引な営業展開(事実、顧客との間で訴訟騒ぎが発生)や、社員を将棋の駒のように扱い半年ごとに人事異動を繰り返すような経営ビジョンに嫌気がさしたのです。

しかし、今となって考えてみると、若輩コンサルタントの私に講演やコンサルティングの仕事をどんどん任せてくれたおかげで、今の私のマネジメント知識や講演テクニックが醸成された訳です。
私の人生において・・・苦しさや悔しさは多かったものの・・・決して無駄な期間ではなく、むしろ大いに意義があったのです。

【未来の種】

「過去」の積み重ねによって「現在」があり、「現在」の積み重ねによって「未来」が創り上げられていくのです。
過去を否定することは現在を貶め、現在に不満のみを抱けば未来も不満だらけのものになっていくでしょう。

逆に、たとえ嫌で汚れたように思っている過去の中にも、何かひとつでも鈍く輝く要素があれば、それを明るい未来の種として育てていくことは十分に可能なのです。
成功や幸せというものは、いかに “未来の種” を見つけ出し、育んでいけるかにかかっていると思うのです。

2)最後に自分を助けてくれるのは

職を失い茫然となりながらも、コンサルティング業界に戻ろうと決心した私は、過去に何か “未来の種” はないかを探りました。
そして思い出したのは、最初に勤めたコンサルティング会社で私が担当した中小企業診断士の先生でした。

そのコンサルティング会社は、中小企業診断士や税理士・会計士といったマネジメントの専門家をフランチャイジー(FCジー)として組織化し、私のような若輩コンサルタントに修行として専門家に担当として付かせ、コンサルティング業務の受注活動に当たらせていたのです。

【過去と現在のリンク】

その中小企業診断士の先生に最後に会ってから15年ほど経っていましたし、コンサルティング会社とFCジーの先生方との事業は最悪の関係で空中分解していましたので、今更のこのこ顔を出すのも気恥ずかしい思いでした。

しかし、その先生はロジカルシンキングに特化した研修会社を立ち上げて成功し、私と久しぶりに会った時に迷いなく「手伝ってよ、研修講師の仕事を出すから。あなたの講師としての力量は知ってるから。」と言ってくださったのです。

まさに、「過去の自分」に「現在の自分」が助けられた瞬間です。そして、「未来の自分」を創り上げるために頑張るべき現在のチャンスが与えられたのです。

もちろん、先生への感謝の気持ちが大前提ですが、それも過去に発生した先生とのご縁があってのことですし、先生の記憶に残った過去の自分の頑張りが、結局は自分を助けることになったのです。

【本当の闘いの始まり】

さて、問題はここからです。輝かしい未来・・・いや、少なくともこの段階ではメシが食えるようになる未来・・・を創り上げるためには、「現在」をどう頑張るかが重要です。
研修業界も15年前とは異なって飽和状態になりつつあり、研修会社は乱立し、研修講師もピンからキリまで有象無象存在する状況です。

ここから数年間、まずはメシを食うために頑張りながら、お客様に信頼され仕事をリピートで出し続けていただくための本質的な技量を磨き、研修やコンサルティングのノウハウを蓄積していくために工夫と研鑽を重ねていくことになるのです。


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2016年3月28日 (月)

【リストラ・ペップトーク】 第5話: 分岐点に立った時が本当の勝負だ

第1部 未来への架橋編  第1章 全てを失った時、本当に大切なものが見えた

第5話: 分岐点に立った時が本当の勝負だ

1)本当にマイナスか・・・再考してみる

周囲から「おまえはダメだ」と言われ痛めつけられると、本当に気持ちが落ち込んで全てが悪い方向に回っていきそうになりましたが、ちょっと深呼吸をして考えてみました。

退社する1ヶ月前の2008年5月13日、技術情報センターが主催する「低コストでできる排水中フッ素・ホウ素対策」のセミナー講師として、下記の要領で登壇しているのです。

第1部:首都大学東京 工学博士による基調講演
第2部:占部による既存技術との比較や現場での取組状況の報告
第3部:名古屋大学 工学博士による技術解説

このセミナーで、専門知識のないダメな人間が名だたる大学教授と一緒に壇上に立てますか?

【今の自分にできること】

また、この時期は上場に向けて最大手証券会社や最有力監査法人からコンサルタントが来て、ヒアリングしたり様々なアドバイスをしていたのですが、あまりにも上から目線で偉そうにしてくるので辟易していました。

私もコンサルティング会社でコンサルティングに従事していましたので、「私ならもっと顧客の目線でヒアリングするのに・・・」「ここは、もっと突っ込んで質問しないと実態が分からないのに・・・」と思うところが多々ありました。

このように、全てがマイナスに陥ってしまったように思える状況下でも、「それでも私にできることはある」「まだまだ息の根を止められたわけではない」という“復活の芽”があるように思えてきたのです。

2)Yes I can !

そういえば、当社で働く以前にも、私は人生において様々なピンチを経験してきましたが、その都度いろいろと工夫しながら、また多くの人々の助けを借りながら切り抜けてきました。

その時々に私の脳裏に浮かんだのは「Yes I can!」という英語のフレーズでした。これは中学校の卒業式の時、校長先生が「どんな困難なことを頼まれた時も、どんな苦しい状況に陥った時も、“Yes I can!」”と答えてください。“Yes I can!”と心の中で唱えてください」という言葉を贈ってくださったのです。

中学生の私は「できないものは、いくら“Yes I can!”と唱えたって無理だろう」と浅はかにも考えてしまいましたが、大人になって経験を積み重ねると、理屈を超えて「自分にプラスのイメージを抱かせることの大切さ」が身にしみて分かってきます。

【ダメな理由より、出来るための方策】

当社で「なぜ、追い出されることになったのか」「なぜ、ダメという烙印を寄ってたかって押されてしまったのか」と、この時点で深く考えても、答えは悪い方にばかり向いて落ち込むだけです。

そうではなく、「当社でのダメだった理由を考えるより、次の世界での“出来るための方策を考えよう”」と思うことにしました。

私には“Yes I can!”と言えるものがあるはずです。お客様に寄り添い、共に業績を上げていくために頑張るという『コンサルタントとしての基本的なスタンス』は、昔の経験から誰よりも持ち合わせているのです。

また、講師としての力量も、受講者アンケートの結果から見ても相当なレベルにあるはずなのです。これまでは当社の業務において、ゼネコンや行政の担当者向けの『環境セミナー』の講師として力を発揮してきましたが、当社で働く前に進めていたマーケティングや戦略関連の・・・要は好きな分野の・・・セミナーで頑張ればいいのです。

「そうだ、コンサルティング業界に戻ろう」、その一言が心の中に浮かんだ時、漆黒の闇にサーッと光が差し込み、「じゃあ、第一歩として何をすべきか?」という前向きな姿勢が生まれ、思考がポジティブに働きはじめました。


※次回より、「第2章 Give,give,give & Big take」が始まります。


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2016年3月27日 (日)

【リストラ・ペップトーク】 第4話: ダメな理由に呑み込まれそうになる

第1部 未来への架橋編  第1章 全てを失った時、本当に大切なものが見えた

第4話: 分岐点に立った時が本当の勝負だ

1)すべてがゼロどころか、マイナスになってしまった

2008年6月に退社する段階で、退職金はゼロ、当面の給料もゼロ、おまけに新規公開株の購入を予約していたため、国税庁へ多額の税金を支払う羽目になり、ゼロどころか、身ぐるみはがされマイナス・・・加えて、社会的地位もゼロどころか汚名を着せられてマイナスになり、ズタズタボロボロの状態で荒波の中に投げ出されてしまいました。

「こんな理不尽な話があるか、闘ってやる!」と息巻いてはみたものの、周囲の人間は“我が身かわいさ”で誰も協力してくれるはずもなく、法廷闘争に耐えられるだけの資金的な余裕もありませんでした。

【自分も会社も奈落の底に】

私の後任となった営業本部長は大手商社の出身で、世界を飛び回って数々の実績を上げてきた名うての営業マンらしいのです。
しかし、環境浄化システムの営業には化学面の突っ込んだ知識が必要であり、また土木関係業者を相手に泥臭いやり取りをする場面も多く、どんなに優秀な人でも半年や一年で輝かしい成績を収められるものではありません。

見る見る売上は落ちていき、二年ともたずに倒産したのですから、法廷で争ったとしても弁護士費用ばかり出ていき、結局は何も得られずに終わってしまうところでした。

2)ダメな理由に呑み込まれそうになる

退社する直前は、社内で私は完全に浮いた存在になっており、誰ひとりとして話しかけてもきませんでした。目も合わせず、完全無視の状態でした。
騒動に巻き込まれたくないという気持ちも分かりますが、私としては「さんざん世話になっておきながら、イザという時には知らんふりか」という思いでいっぱいでした。

社長や管理本部長、そして向こう側に控えている金融上がりの取締役は、私が法廷闘争に持ち込むことを想定したのでしょう。社員から“いかに占部が無能で、これまでの所業が酷いか”を裏付ける(こじつける!)ためのヒアリングをしたようです。

その集計表をちょっとしたタイミングにチラッと目を通したのですが、ありもしない捏造事項を含めて噴飯物のレポートになっていました。
専門知識が欠けているとか、部下へのコミュニケーションが今で言うところのパワハラであるなど、納得のいかないものばかりでした。

【結論ありきの罠】

もちろん専門知識は開発担当の研究者にはかないませんが、営業に必要な知識は十分に持っていましたし、それが証拠にゼネコンの環境事業担当者向けの環境セミナーの講師を何度も務め、それがきっかけで当社の製品が売れました。

部下がミスをした時に、荒っぽい言葉を投げかけたこともあったことは認めます。ただ、そこだけを切り取って私の管理者としての能力を全否定するような内容は、「占部を追い出す。悪者としての烙印を押す」という“結論”ありきの組み立てであり、上場を見据える企業のフェアな業務の進め方とは異なります。

そこまでして私に居られては困るのか・・・北は北海道から南は沖縄まで、取引先の人々が驚愕するほど過酷な移動に次ぐ移動による営業活動も、冬の北海道でわずか一日で札幌と釧路を車で往復するような過酷な取り組みも・・・まったく無かったかのような仕打ちをされては、さすがにポジティブ思考の私も暗く深い淵に沈み込むしかありませんでした。


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