【リストラ・ペップトーク】 第13話: チャンスを自ら獲る
第2部 立志編 第3章 やる時はやる、自分を貫く
第13話: チャンスを自ら獲る
1)積極的なセミナー企画
1980年代も2010年代も、コンサルティングや研修の受注を獲得するための手段はセミナーが主流です。セミナーに多くの聴衆を呼び込むためのテーマを設定することや、魅力的な講師に依頼すること、そして終了後の徹底したフォローがポイントです。
集客手段については、最近はFacebookをはじめとしたSNSなどが台頭していますが、80年代に主流だった封書やFAXによる勧誘文書もまだまだ健在であり、この業界に古くからいる私のようなコンサルタントにとってはメシを食う方法として有り難い限りです。
【一晩で3,000通のDM作成】
私が勤めていたコンサルティング会社もセミナーを積極的に開いていました。入社二年目あたりまでは、私と同僚のA君は、セミナーの案内文書を会計事務所の先生方や中小企業の経営者向けにDMとして大量に送るのが仕事でした。
自分たちで呼び込んだお客様がセミナーを聴いて「よし、このコンサルティング会社と継続的なコンサル契約を結ぼう」ということになれば、営業フィーが入ってくるので給料(年俸)が上がる仕組みになっていました。
したがって、アウトソーシング(外注)業者など存在しない当時、私とA君は一晩!で、次のような膨大な作業をこなしていました。
・文言やデザインを含め、案内文面の作成→3,000通印刷→三つ折り作業
・宛名シールの印刷→封筒3,000通への貼り付け
・案内文面の封筒への封入→入れ口の貼り付け
・翌日、郵便局に持っていき、大量発送用のスタンプ押し
【何事も財産になり得る】
表面だけ読むと、知的労働には思えないでしょう。しかし、経営コンサルタントとしては、いかに仕事につながりそうな送り先をピックアップするか、いかに心を惹きつける文面を作るか、いかに3,000通のDMを効率よく作業して完成させるかなど、大いに工夫のし甲斐があり、将来に向けての勉強になり、かけがえのない人生の財産となりました。
また、こうした力技だけではなく、当社の専務を講師に迎え、横浜の山下公園に停泊している客船「氷川丸」の大広間でのセミナーを企画するなど、いま考えてもお洒落な・・・当時のバブル経済の雰囲気に後押しされたような仕事にも取り組んでいました。
粗削りながらも、いろいろなことにチャレンジできたのは、若い頃の私にとってラッキーでした。『黄金の80年代→円高不況→バブル経済→バブル崩壊』という近代史の怒涛の流れを目の当たりにしながら、若い力で精力的に駆け巡っていたのです。
2.講師としてのデビュー
当社は若手社員(コンサルタントの卵)に積極的に仕事を任せ、自ら道を切り拓いた者は年棒が増え地位も上がる、いわゆる実力主義の仕組みを確立していました。当然、営業だけよりも講演やコンサルティングの仕事を自らやる方が年俸は増えます。
もちろん、ただの若僧が講演をやっても誰も見向きもしないでしょう。やるからには、参加者に価値を見出していただけるだけの何かが必要です。その何かのうち半分は会社が用意してくれました。すなわち、当時は多くの経営者が関心を寄せた「戦略的中期経営計画の策定法および周辺情報」です。
【明日、再現せよ】
あとの半分は、講師の魅力です。今でも感謝しているのは、当時の上司(部長)が「一度受けたセミナーは、翌日には君たちが再現せよ」と命令してきたことです。これを聞いて「ムリ」と思った同僚も多かったようですが、私は素直にチャレンジを始めました。
まずは堺屋太一さんや長谷川慶太郎さんといったビッグネームから当社の先輩コンサルタントに至るまで、いろいろなセミナーを受講し、徹底して研究し尽くしました。とにかく受講したセミナーは、1日あたりレポート用紙10枚以上、びっしりメモを取ると自分に課しました。
「自分だったら、どう話すか」と想定しながら、これだけのメモを取りながら必死に受けたら、たいがいは再現できます。最初は個性や深みは出ないでしょうが、繰り返していくうちに自信が湧いてきて、それなりの形になります。あとは、やるかやらないかの違いです。
【 Yes, I can ! 】
入社三年目のある日、部長から「明後日の“会計事務所の成功戦略セミナー”、講師を務める予定の課長が本社から来れなくなった。おまえ、アシスタントをやって内容は分かってるよな。やれ!」と言われたとき、「はい、やります!」と条件反射的に答えていました。
この日のために準備をしてきたようなものです。20歳代後半の若僧が、会計事務所の先生方を相手に、成功戦略セミナーの講師を務める・・・普通なら無謀に思える状況です。しかし、ここで「No」と言うようでは、今後お客様を相手にコンサルタントとして「御社はこういう戦略を取るべきです」などと強く言うことは出来ないでしょう。
私は昔から、他人のやることに「ムリ」「やめとけ」と言う人が大嫌いです。なぜなら、大抵のことは“出来る”からです。私は新人の頃に「ムリ」としか思えないようなことに体当たりするしかない状況に追い込まれ、また自分を追い込み、そこを何とか工夫して何とかすることを繰り返してきました。
「出来る」「何とかしよう」と思っている間は、ゲームセットにはなりません。どんな状況にも「Yes, I can !」と信じて立ち向かうと、何とかなるものなのです。今でも、固くそう信じて生きています。
表紙:リストラ・ペップトーク 表紙
目次:リストラ・ペップトーク 目次
ご参考:ホームページ 雑記帳のバックナンバー