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2016年3月

2016年3月28日 (月)

【リストラ・ペップトーク】 第5話: 分岐点に立った時が本当の勝負だ

第1部 未来への架橋編  第1章 全てを失った時、本当に大切なものが見えた

第5話: 分岐点に立った時が本当の勝負だ

1)本当にマイナスか・・・再考してみる

周囲から「おまえはダメだ」と言われ痛めつけられると、本当に気持ちが落ち込んで全てが悪い方向に回っていきそうになりましたが、ちょっと深呼吸をして考えてみました。

退社する1ヶ月前の2008年5月13日、技術情報センターが主催する「低コストでできる排水中フッ素・ホウ素対策」のセミナー講師として、下記の要領で登壇しているのです。

第1部:首都大学東京 工学博士による基調講演
第2部:占部による既存技術との比較や現場での取組状況の報告
第3部:名古屋大学 工学博士による技術解説

このセミナーで、専門知識のないダメな人間が名だたる大学教授と一緒に壇上に立てますか?

【今の自分にできること】

また、この時期は上場に向けて最大手証券会社や最有力監査法人からコンサルタントが来て、ヒアリングしたり様々なアドバイスをしていたのですが、あまりにも上から目線で偉そうにしてくるので辟易していました。

私もコンサルティング会社でコンサルティングに従事していましたので、「私ならもっと顧客の目線でヒアリングするのに・・・」「ここは、もっと突っ込んで質問しないと実態が分からないのに・・・」と思うところが多々ありました。

このように、全てがマイナスに陥ってしまったように思える状況下でも、「それでも私にできることはある」「まだまだ息の根を止められたわけではない」という“復活の芽”があるように思えてきたのです。

2)Yes I can !

そういえば、当社で働く以前にも、私は人生において様々なピンチを経験してきましたが、その都度いろいろと工夫しながら、また多くの人々の助けを借りながら切り抜けてきました。

その時々に私の脳裏に浮かんだのは「Yes I can!」という英語のフレーズでした。これは中学校の卒業式の時、校長先生が「どんな困難なことを頼まれた時も、どんな苦しい状況に陥った時も、“Yes I can!」”と答えてください。“Yes I can!”と心の中で唱えてください」という言葉を贈ってくださったのです。

中学生の私は「できないものは、いくら“Yes I can!”と唱えたって無理だろう」と浅はかにも考えてしまいましたが、大人になって経験を積み重ねると、理屈を超えて「自分にプラスのイメージを抱かせることの大切さ」が身にしみて分かってきます。

【ダメな理由より、出来るための方策】

当社で「なぜ、追い出されることになったのか」「なぜ、ダメという烙印を寄ってたかって押されてしまったのか」と、この時点で深く考えても、答えは悪い方にばかり向いて落ち込むだけです。

そうではなく、「当社でのダメだった理由を考えるより、次の世界での“出来るための方策を考えよう”」と思うことにしました。

私には“Yes I can!”と言えるものがあるはずです。お客様に寄り添い、共に業績を上げていくために頑張るという『コンサルタントとしての基本的なスタンス』は、昔の経験から誰よりも持ち合わせているのです。

また、講師としての力量も、受講者アンケートの結果から見ても相当なレベルにあるはずなのです。これまでは当社の業務において、ゼネコンや行政の担当者向けの『環境セミナー』の講師として力を発揮してきましたが、当社で働く前に進めていたマーケティングや戦略関連の・・・要は好きな分野の・・・セミナーで頑張ればいいのです。

「そうだ、コンサルティング業界に戻ろう」、その一言が心の中に浮かんだ時、漆黒の闇にサーッと光が差し込み、「じゃあ、第一歩として何をすべきか?」という前向きな姿勢が生まれ、思考がポジティブに働きはじめました。


※次回より、「第2章 Give,give,give & Big take」が始まります。


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2016年3月27日 (日)

【リストラ・ペップトーク】 第4話: ダメな理由に呑み込まれそうになる

第1部 未来への架橋編  第1章 全てを失った時、本当に大切なものが見えた

第4話: 分岐点に立った時が本当の勝負だ

1)すべてがゼロどころか、マイナスになってしまった

2008年6月に退社する段階で、退職金はゼロ、当面の給料もゼロ、おまけに新規公開株の購入を予約していたため、国税庁へ多額の税金を支払う羽目になり、ゼロどころか、身ぐるみはがされマイナス・・・加えて、社会的地位もゼロどころか汚名を着せられてマイナスになり、ズタズタボロボロの状態で荒波の中に投げ出されてしまいました。

「こんな理不尽な話があるか、闘ってやる!」と息巻いてはみたものの、周囲の人間は“我が身かわいさ”で誰も協力してくれるはずもなく、法廷闘争に耐えられるだけの資金的な余裕もありませんでした。

【自分も会社も奈落の底に】

私の後任となった営業本部長は大手商社の出身で、世界を飛び回って数々の実績を上げてきた名うての営業マンらしいのです。
しかし、環境浄化システムの営業には化学面の突っ込んだ知識が必要であり、また土木関係業者を相手に泥臭いやり取りをする場面も多く、どんなに優秀な人でも半年や一年で輝かしい成績を収められるものではありません。

見る見る売上は落ちていき、二年ともたずに倒産したのですから、法廷で争ったとしても弁護士費用ばかり出ていき、結局は何も得られずに終わってしまうところでした。

2)ダメな理由に呑み込まれそうになる

退社する直前は、社内で私は完全に浮いた存在になっており、誰ひとりとして話しかけてもきませんでした。目も合わせず、完全無視の状態でした。
騒動に巻き込まれたくないという気持ちも分かりますが、私としては「さんざん世話になっておきながら、イザという時には知らんふりか」という思いでいっぱいでした。

社長や管理本部長、そして向こう側に控えている金融上がりの取締役は、私が法廷闘争に持ち込むことを想定したのでしょう。社員から“いかに占部が無能で、これまでの所業が酷いか”を裏付ける(こじつける!)ためのヒアリングをしたようです。

その集計表をちょっとしたタイミングにチラッと目を通したのですが、ありもしない捏造事項を含めて噴飯物のレポートになっていました。
専門知識が欠けているとか、部下へのコミュニケーションが今で言うところのパワハラであるなど、納得のいかないものばかりでした。

【結論ありきの罠】

もちろん専門知識は開発担当の研究者にはかないませんが、営業に必要な知識は十分に持っていましたし、それが証拠にゼネコンの環境事業担当者向けの環境セミナーの講師を何度も務め、それがきっかけで当社の製品が売れました。

部下がミスをした時に、荒っぽい言葉を投げかけたこともあったことは認めます。ただ、そこだけを切り取って私の管理者としての能力を全否定するような内容は、「占部を追い出す。悪者としての烙印を押す」という“結論”ありきの組み立てであり、上場を見据える企業のフェアな業務の進め方とは異なります。

そこまでして私に居られては困るのか・・・北は北海道から南は沖縄まで、取引先の人々が驚愕するほど過酷な移動に次ぐ移動による営業活動も、冬の北海道でわずか一日で札幌と釧路を車で往復するような過酷な取り組みも・・・まったく無かったかのような仕打ちをされては、さすがにポジティブ思考の私も暗く深い淵に沈み込むしかありませんでした。


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2016年3月26日 (土)

【リストラ・ペップトーク】 第3話: もう何があっても驚かない

第1部 未来への架橋編  第1章 全てを失った時、本当に大切なものが見えた

第3話: もう何があっても驚かない

1)こんなお粗末な話がまかり通るのか

2008年3月に“青天の霹靂”のように社長から背任行為を指摘する話が出て、3ヶ月後の6月には私は退社する羽目になってしまいましたが、この頃には、社内で孤立していた私の耳にも様々な情報が入っていました。

2007年の後半、上場への準備に取りかかるにあたって、ある金融機関を退職した人物が財務系に詳しい取締役として就任したのですが、この人物が社長に対して「上場企業の社長としての嗜み」を教え込んだらしいのです。

その嗜みとは、お洒落なスーツを着て、高級クラブや料亭でセレブな振る舞いをすることでした。私が退社する頃には、会社の金で1晩に30万円ほどが飲み代に消えていました。
また、高級クラブの“女性応接係”へのプレゼントにも会社の金が巧妙に使われていたようで、そういった金は(顧客や社員も一緒に飲んでいたから)福利厚生費や接待費の名目で月に180万円~240万円にも昇っていたようです。

【理念も志も、一瞬で消え飛ぶ】

研究者肌の社長は、設立当初から本当に地味な服装で、酒の席にも滅多に顔を出さず、そういった外交的なことは私が一手に引き受けていたわけですが、一度口の達者な人物から遊びを覚えさせられると、一気に堰を切ったように暴走を始めたのです。

上場した後に大きな取引きを狙って接待するのならまだしも、まだ上場前の一番気を引き締めなければならない時に、何を考えているのか・・・。つい5年前までは、マンションの一室で慎ましやかに、でも大きな希望と崇高な理念をもって頑張っていたのに・・・。

2)結局、どうなったか・・・

その人物にとって、正論を吐く私なんかは邪魔だったに違いありません。これは後で知ったことですが、その後、当社に何が起こったか・・・。

2008年  6月 取締役営業本部長の解任(→私のこと)
2008年12月 取締役開発本部長の退社(うつ病に追い込まれたとのこと)
2009年  4月 取締役管理本部長の解任(→私に対するものと同じ方法にて)

ひとつの会社で、営業と製品開発と人事総務の責任者が半年以内にクビを切られ退社に追い込まれるなどとは、尋常の沙汰ではありません。

結局、上場の準備でバックについていた最大手の証券会社と、最有力な監査法人からは「経営者が上場への適格性に欠く」との理由で撤退し、上場は夢幻と潰えました。それどころか、それから二年後には会社自体が倒産に追い込まれました。

【暗澹たる未来・・・】

2007年の後半といえば、営業成績を一気に上げるために、営業本部長である私自らが当社の北海道支店にたびたび詰めて、本社の内部に気が向いていない時期でした。
取締役である以上、社長が特定の人物に篭絡されていることに気付かなかった責任は重く、社長に対して「なぜ、私を信じてくれなかった・・・?」という悲しみは抱くものの、不思議と怒りは湧きませんでした。

その人物は一体何が狙いだったのか、今となっては「ライバル企業から送り込まれ、当社を倒産に追い込むためのスパイだったのか」など、憶測するしかありません。

それよりも何よりも、私は職を失い、生活費を稼ぐあてもなく、加えて取引先では“背任行為をしたとんでもない人間”と誤解によるとんでもない烙印を押され、再就職の目処を絶たれ・・・どう生きていったらよいのかさえ分からない最悪の事態に陥っていたのです。


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2016年3月25日 (金)

【リストラ・ペップトーク】 第2話: 青天の霹靂・・・人は裏切る生き物だ

第1部 未来への架橋編  第1章 全てを失った時、本当に大切なものが見えた

第2話: 晴天の霹靂・・・人は裏切る生き物だ

1)でき上がっている筋書き

「話し合えば分かってもらえる」、「誠意をもって接すれば良い方向に進む」という考え方は、基本的に物事が順調に進んでいる時には通用しますが、ある勢力が「こいつを消す」という「結論」を決めている状況では、何の“おまじない”にもならないものです。

私も当社においては取締役であり、また保有株式数は少ないものの株主である以上、さすがに「明日から来なくていいよ」という訳にはいきません。
そのため、クーデターの首謀者は相当緻密な作戦を立て、徐々に私が不利な立場に陥るような罠を仕掛けてきました。

私が本当に背任行為をしたのか、セクハラ行為をしたのか、という検証や議論はなされないまま、「まずは会社の収益を確保し、株式公開を達成するために、これ以上事態を悪化させたくない」という大義名分を私に提示してきました。

【お人好しを逆手にとられ】

そもそも私は会社の発展に大いに貢献してきたという自負がありますから、会社が悪い状態になることを好む訳がありません。
また、当社が開発する「重金属による環境汚染の除去システム」を通して、すでに汚染により被害を被っている人々を救うという当社の理念に共感していましたので、この理念を確立するためにはどうしたらいいか、という視点で考えました。

私は当社が上場した暁には、過去にコンサルティング会社でマネジメントの修行をした経験や大手総合研究所と共同で出版した経験などを活かして、地球環境に貢献する総合研究所を当社の関連会社として立ち上げることを構想していましたので、近い将来そちらで働けるなら、本体に残らなくてもいいという感覚でいました。

2)梯子をはずされ四面楚歌

社長から私に提示されたのは、「取締役から外れ、一般社員(管理職)として我慢して欲しい。給料は保証する」というものでした。
後から考えると、「本体に残らなくてもいいという感覚の占部にとって、“本体で働ける”という条件は美味しいはずだ」「理念を優先して考える占部は、きっと自己の利益を優先して取締役に固執することはないだろう」という思惑を社長や管理本部長は持っていたのでしょう。

しかし、話はここで終わらず、二週間ほどして今度は「関連会社を設立するので、そこの取締役に就任して欲しい。給料は保証する」という提示がありました。
この段階で、さすがにお人好しの私も「ああ、何が何でも私を追い出したいのだ」と自覚するしかありませんでした。

一般社員の首を切るのは労働三法が確立している日本では難しいのですが、取締役の首は、役員会・株主総会での決議を得られれば、語弊はありますが根回し次第で簡単に切ることができます。

【話が二転三転】

この後、二週間おきくらいに提示をしては、その約束を反故にするという行為が繰り返されました。

「関連会社の取締役に就任して欲しい」
⇒関連会社の設立は、上場を控えた今はまずいので、待つように監査法人から指示された

「占部は勇退ということにして、外部でコンサル業務をして欲しい。仕事は必ず出すので、給料の代わりにして欲しい」
⇒私が一番信頼していた部下が、取引先を回って『占部は背任行為によりクビになった』と言いふらした
⇒仕事など出るはずもない・・・

「保有している株式を会社側で買い取らせて欲しい」
⇒上場を控えた今は現金のやり取りが難しいので、譲渡して欲しい

ここまでくると、あまりにも露骨な追い出し行為を滑稽と思わざるを得ませんでした。私という存在を、株式1枚たりとも残らず消してしまいたい・・・株主として反撃してくることすら想定して恐れている・・・ということなのでしょう。

設立当初、社長と環境への貢献や会社の未来について、毎日希望に満ちて話し合い、笑い合い励ましあっていたのが、本当に何だったのか、訳が分からなくなってしまいました。しかし、今はそんな感傷にひたっている場合ではなく、「闘うのか、どうするのか」「明日からの生活はどうするのか」という切実な問題にぶち当たって暗澹とするしかありませんでした。


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2016年3月24日 (木)

【品川だより】 ジョギングでプラチナ通りを走ります。

白金のシロガネーゼを横目に走ります!

うちのマンションの道向こうは白金台で、お上品な住宅街を駆け抜けて到達するのは、「外苑西通り」で通称「プラチナ通り」と呼ばれるお洒落な店が並ぶセレブゾーンです。

●さすがに建物がお洒落!

カフェとか高級ブティックという言葉が妙に似合うプラチナ通りには、そこに相応しい「シロガネーゼ」と呼ばれるセレブな奥様たちが集い、お上品な会話に花を咲かせるのです。
そこをスポーツウェアで駆け抜けるわけですから、周囲から浮きまくるのは承知の上・・・「近くに住んでるのですが、なにか?」の精神で頑張って走ります。

それにしても、あの「ドン・キホーテ」の白金店は、さすがに派手さを押し殺して、むしろプラチナを彷彿とさせるネオンで街中に溶け込んでいます。


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2016年3月23日 (水)

【品川だより】 ジョギングで品川の街並みを巡ります。

東海道二番目の宿場町、品川です!

昨日掲載したのは港区が中心で「どこが“品川だより”やねん」と突っ込まれそうでしたが、今回は堂々の品川めぐりです。

出発は品川駅前・・・うーん、名称は品川駅ですが、住所は港区なんですねぇ、どこまで行っても港区から離れられない運命です・・・。

●東京で富士山に登山!

品川区で最も大きな社のある品川神社ですが、その境内になんと「富士山」がそびえ立ち、登山ができるんです。「あぁ、とうとう占部も頭が変になったか」と思わないでくださいね。

江戸時代に富士山に行きたくても行けない・・・でも、神の山に登ってご利益を得たいと思う江戸庶民のためにできたのでしょう。
けっこう傾斜はきついのですが、まあ普通の健康状態の人なら、それほど苦労せずに山頂に立ち、現代の東京の街並みを見下ろすことができます。

●坂本龍馬先生にご挨拶

「なぜ、坂本龍馬が品川に?」と不思議に思う人も多いでしょう。龍馬は若い頃に土佐藩の許可を得て江戸に遊学し・・・千葉周作道場で修行した話は有名ですが・・・品川にあった土佐藩の下屋敷で砲台警備の役に就いた時期があるのです。

そういったことから、品川は「龍馬青春時代の地」として知られており、京急線の立会川駅から徒歩1分の場所に銅像が立っているのです。
「坂本龍馬はマーケティングの天才だった!」の著者である私は、当然のことですが、龍馬先生とツーショット!


さて、次回はどこを走りましょうか。やっぱり品川は歴史が古いだけに、どの方向に走っても名所が並んでいて素敵ですね。

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2016年3月22日 (火)

【品川だより】 ジョギングを再開・・・品川を中心に走りまくろう!

ファンタスティックなジョギングコース、なんて幸せ!

大きめのプロジェクトに目処がついたので、ジョギングを再開しました。私が住んでいるのは品川区東五反田ということで、「品川だより」というタイトルで近辺の魅力を走りながらご紹介しようと企画していますが・・・港区と目黒区に隣接した場所なので、実際は品川区以外の記事が多くなると思います。(個人のブログですので、突っ込まないでくださいね・・・。)

●麻布十番、東京タワーもコース内に:

いきなり港区の話ですが、うちのマンションの前を通っている桜田通り(国道1号線)を東に進めば、20分もしないうちに麻布十番に到着します。ここは「楸(ひさぎ)」という牡蠣料理の名店があるのですが、さすがにこの格好で入るわけにも行かず、一路東京タワーへ向かいます。

10分程度で東京タワーの真下に到着です。 ♪スカイツリーより、普通~に、東京タワーが好き~、はーいっ!♫
やっぱり、東京の象徴は東京タワーですよね。このサンダーバード3号に似たシルエット、青空に映える赤色、見るだけでテンションが上がります。

●新旧の建物に出会える高輪台:

高輪台からは走りながら品川駅港南口周辺の高層ビルを望むことができます。同時に、高輪消防署のレトロな建物の横をすり抜けて行くことになり、この新旧の建物に出会えるところに高輪周辺の歴史を感じることができます。


さて、今回は東に向かったので、次は西に向かうか南下するか・・・これまた名所が数々ありますので、走るのが楽しみですね。

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2016年3月11日 (金)

【社会】 東日本大震災・・・あれから5年、記憶を風化させてはなりません。

忘れないこと、そして将来に活かすこと

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生から今日で5年が経過しました。被害に遭われた方々にとっては、地獄の日々だったと思います。あらためて、犠牲になられた方々のご冥福と、一日も早い復興の実現を祈念いたします。

●風化させてはならじ:

当時の雑記帳(このブログの前身で、2012年まで記載)を読み返すと、当日の恐怖、また多くの方々が犠牲になられた事実、そして、それを乗り越えて復興に向けて頑張る方々のことが鮮明によみがえり、涙を流さずにはいられません。

大震災に直接関連のある雑記帳の「記事一覧」をまとめましたので、ひとつの記録集としてご参照ください。

ご参考: 雑記帳 大震災関連の一覧

●私なりの復興支援:

あれから、東北地方の自治体職員の皆様へ向けた「意思決定力向上研修」「企画力向上研修」などの講師を務める機会が増えました。
もちろん、日本全国どこの自治体の皆様も真剣に受講していただけますが、やはり東北地方の方々の受講姿勢は気迫に満ちています。

「復興のために、いま学んでいることをどう活用するか」「いま抱えている問題を、この研修での学びを活かし、どう解決するか」といった、具体的な課題を一人一人が明確にして研修に臨まれます。

私としては、研修講師業務がそのまま復興支援につながると信じて、この5年間頑張ってきましたし、これからもその姿勢を貫きます。
より具体的なコンサルティングを、より実践的に職場で使えるノウハウを、これからも追究してまいります。

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※記憶を風化させないよう、敢えて写真を掲載します。



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